イベントレポート/【前編】Ome Farmの植物性発酵堆肥を囲んで

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1.2 mile community compostでは、環境や循環などについて様々な取り組みを行っている方にお話を聞き、知見を広げコミュニティの価値を向上しています。見聞きしたことをコミュニティで共有することによって、さらなるアイデアの創出につなげています。

  • Photo:

    Yuri Utsunomiya

  • Text:

    Nao Tsuchiya

はじめに

11/23(月・祝)晴天のこの日は、都心から約1時間、東京都青梅市のOme Farmにお邪魔し、実際に使っている堆肥づくりを体験させていただきました。

「堆肥」と言っても、いろいろな方法の堆肥があることをこのプロジェクトを通して知りました。コミュニティでは、LFCコンポストを使い家庭の中ごみを分解します。

Ome Farmが採用している熟成方法は大規模な堆肥舎を設け土着の資材を使い発酵分解をさせる方式です。この方式が重視するポイントは、二次処理、すなわち二次的な発酵を起こすことです。二次処理をすることで、一次処理で死滅しなかった雑菌や病原菌、施用後に発芽可能性のある種子などをその発酵熱によって死滅させることができ、品質にこだわる本格的な農業用堆肥を作ることができると言います。

1.2 mile community compostでは、集めた堆肥の活用方法として農家の方との連携も見据えて「農家の方が使いたいと思う堆肥とはなんだろうか」という問いを考えてきました。そんな中で今回のこのような機会をいただき、実際に手足体を動かしながら、理解を深めました。

今回はNaoさんにレポートを書いていただきました!

まずは資材を集めるのだ

作業は大きく2つに、資材集めとそれらを配合させることに分けられます。午前中は栗林の落ち葉と床材に使用する土を集める作業を行いました。現場に直行し、ファーム代表の太田さん、堆肥の管理もおこなう農場長の松尾さんとご挨拶です。

太田さんの「今から農耕接触を行います!」という掛け声に、作業は始まりました。たしかに、そもそも土には数え切れないほど、想像を遥かに超えるほどの微生物つまり雑菌が棲みついていて、話題の新型コロナウイルスも雑菌の一つに過ぎない。Ome Farmでは、農耕接触という言葉はファームに出入りし交流を深めるという意味で主に使われていますが、一方で、まさに土を触り続けることが、この時代に足りないものなのではないか、そんな深読みもしてしまう言葉に序盤からハッとしてしまいました。こんな言葉にOme Farmの理念が詰まっているとも言えるのではないかとも思いました。

「落ち葉を集める班と、土を軽トラに載せる班の2班に分かれて行います」

作業中、松尾さんの指示はわかりやすく、よく伝わってきました。それはその後作業が進むにつれて分かることなのですが、熟練の技術や知識がありながら、感覚も大切にされていることが大きく関係していると感じました。

今回の方式のように、特殊な菌の増殖による分解ではなく土着の好気性微生物を利用した発酵分解においては、水分量と酸素、養分のバランスがとても重要です。コミュニティメンバーが家庭で行っているLFCコンポストでも、そのことを重視しています。規模が大きくなればより調節は難しくなってきます。加えて、天気などの環境の変化も影響していて、それらを総合的に捉え、感覚を使って調節をする必要があるのです。言い換えれば、そのバランスや感覚なしには微生物を活かし続けることは難しいとも言えます。

そしてなにより、この類のものは自然との相談です。
「ちょうど良かったです。先週でもダメだし、来週だと遅かったかも」
今回の落ち葉拾いは一週間早くては十分に落ちていなかったようで、そんなタイミングにも恵まれた会となりました。自然にも歓迎されています。

落ち葉を集める合間に葉をじっと観察すると、葉の裏などに白い糸を引くようなものが顔を見せていました。土着の菌かなあ。私たちが来るまでに、ここの水や雨を浴びて、土や他の微生物と接触しながら、次のイベントを待っているのでしょう。

その力をお借りして、これから堆肥を作ると思うと、見えないものたちに「よろしく」と声をかけたくなるものです。こういう感覚は、コンポストに取り組みはじめてから、手に入れたものかもしれません。

そして、大きな袋に4袋以上の落ち葉と軽トラック荷台を満杯に埋める土2回分など作業が2時間半くらい続き、口数が減り、手の皮がむけたり、腕が痛くなったりしますが、日々眠っている筋肉を呼び起こす心地よい疲れということにしておきます。

地面の栗と「もったいない」の錯覚

作業を行った場所は栗林なので、当然栗の実も沢山落ちています。中には栗が集められた山もありました。慣れない作業にてお腹も減り、つい「なぜ拾わないのですか?もったいない…」と松尾さんにご質問をしました。

「それは収穫後のもので、虫食いがあったり落ちたり、と人が食べるのは難しいと判断されたもの。でも堆肥に入れられますよ」

少し話は変わり、最近COMMUNEの屋上菜園『ウエル』で感じたことと同じだなと思いました。当たり前ではありますが、それは「植えた種や実のすべてが収穫できるわけではない」ということです。虫たちにお裾分けすることもありますし、鳥たちも来ます。間引きだってします。それが自然の中で育てて巡るということ、あるいは、育てるということをしながらも自然を尊重し続けるということなのかもしれません。落ちている栗もぐるぐる巡る一環と捉えて、「もったいない」で思考を止めるのではなく、その後にいかに循環させるかが大切なのです。

栗林の端にあった山盛りになったイガちゃんたちも、美味しい栗を取ったあとのもので、燃やして炭を栗林に戻したり、と実験をされているそうです。そして、落ちた栗たちをもったいないと思う一方で、日々の生活で無意識に残したり手放したりする食べ物の多さ、そしてそれらを「生ごみ」と名付けて「棄てる」という動詞で手放していることの方が、よっぽどもったいないのだと、ちょっと恥ずかしくもなります。

Ome Farmのリンクはこちらから。
Instagram @omefarm
公式HP omefarm.jp

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